PROJECT
プロジェクト
鈴渓藝塾|2017ー2019
活動拠点:愛知県常滑市小脇公園
鈴渓藝塾とは
常滑市の南部地域における少子高齢化・環境問題などの様々な課題を解決しながら持続的な地域活性を図ることを目的として、 2017年度より愛知県立芸術大学と常滑市が連携して取り組みを開始した事業である。
愛知県立芸術大学では、 国境を越えた地球規模の視野と、 草の根の地域の視点をもつGLOCAL (Global + Local)な人材育成を目指し、 「課題解決型学習(Project-Based Learning)」の新しい教育プログラム 「フィールドワーク」と「アクティブ・ラーニング」を実施した。
遠い未来ではない、 今から地続きの10年後の未来を多視点な角度から捉え、 美術も、 音楽も、 ダンスも、 建築も、 農学も、 社会学も、 生命研究も、 様々な分野が領域を超えて共振する新しい世界観・知の創出を目指している。
本事業では鈴渓義塾の精神と想いを受け継ぎ、 常滑市南部地域に藝術を軸にした革新的藝術文化創生拠点 「鈴渓藝塾」の設立を目指し、 その理解を深める活動を展開した。
鈴渓義塾とは
小鈴谷村の庄屋を代々務めてきた盛田家の第11代久左エ門(隠居後命旗)は、「これからの日本には教育が必要だ」と考えた。命旗は子どもみぞぐちみきの教育に特に熱心で、学制発布とともに小鈴谷村郷学校の創設に尽力し、教師として溝口幹(1852~1933)を招いた。
明治19年(1886)小学校令が発布されたが高等小学校は 1郡 1校の定めで知多郡では半田に置かれた。しかし、小鈴谷から子どもの足で通える距離ではなかった。そこで向学心に燃える者に、更に上の教育を授けたいという溝口幹の希望を聞き、明治21年(1888)命頑は私塾 「鈴渓義塾」を創設し、塾長に溝口幹を据えた。
「鈴渓義塾」は現代の小学校高学年から中学校低学年の少年少女の教育の場であった。しかしながら教育内容は極めて高く、文明開化を迎えたおうめいかんいそうばかりの日本の田舎の小鈴谷村で今の高校に匹敵する国文、漢文、英語、数学、理科、簿記や細井平洲の「喫鳴館遺草」をも使用し、溝口幹の手書きの教科書による高度のカリキュラム、体操の時間では、当時珍しい野球まで教えていた。